姫街道 嵩山から気賀まで
平成20年3月

その1 嵩山から三ケ日まで

姫街道その2へ

姫街道は、御油(ごゆ)から嵩山(すせ)・本坂峠・三ヶ日(みっかび)引佐(いなさ)峠・気賀を通り見附に至る約60kmの東海道の脇街道です。今ではほとんどが車道となってしまい、昔の面影を残す所は少なくなりました。その中でも嵩山から気賀の間、約20kmは比較的姫街道の趣が残っています。

御油から見附(右の写真)までの案内板です。 この案内板は三ケ日釣橋川親水公園にあります。

特に、嵩山・三ヶ日間の本坂峠、大谷(おおや)・西気賀間の引佐峠、その先の小引佐峠は 山の中の道で昔を偲ぶことができます。本坂峠前後の道を除いては、ほとんど石畳の道となっており、整備されています。
嵩山から歩き始めます。石碑、塚、史蹟、常夜灯、案内板、説明版、道標、標識など豊富に設置してあります。このホームページはそれらの紹介です。
姫街道を少し離れても、立派な史跡がまだ多くありますが、ここでは姫街道沿いの紹介です。また道順も必要な所に案内板があり、歩きやすくなっています。


本坂トンネル手前で国道362号と別れ、本坂峠道を通る蒿山の姫街道標柱です。 石畳の道となります。
右へ進んでください
すぐにこのような案内板があります。 クリックしてネ。
蒿山一里塚です。 車道を横切った所の姫街道です。
こんな案内石もあります。平成17.4.3建立です。 茶旧川橋という名の小さな橋です。
腰掛岩という名の岩がありました。旅人が腰掛けて一服したのでしょう。 傍に、座禅岩と呼ばれる平たい岩があります。
すぐに茶屋場跡という標識があります。往時の賑わいが偲ばれます。 蒿山七曲りというところです。難所だったのでしょう。ここは水もわずかに流れています。
峠近くに弘法水があります。旅人が喉を潤したことでしょう。水はほとんど枯れてしまっています。 弘法水の説明です。
本坂峠に着きました。展望はありません。ここは尾根道で北は中山峠、宇利峠へと続きます。また南は多米峠へと続きます。
ここにも茶屋場があったようです。
本坂峠を降りてくると、椿の原生林があります。
椿の原生林の説明板です。 椿の原生林を降りてくると車道と出合います。
車道を横切ってしばらく行くと鏡岩があります。 鏡岩の説明板です。
車道を横切って石畳の道を下ってゆきます。 国道362号線と出合います。姫街道の案内板があります。
国道362号線と出合って左下に弘法堂があります。(左・右は進む方向に対してです。) 弘法堂の説明板です。
すぐに国道362号線を横切って右の道を行くと、高札場跡と秋葉灯籠があります。鞘堂(豆の鞘のように風雨から守るためのお堂)に納められています。 その説明板です。高札場というのは今の官報掲示板にあたり、幕府が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)を木の板札に書き、高く掲げて置いた場所をいいます。
高札場跡と秋葉灯籠を少し進むと、本坂関所跡があります。 三筆(空海、嵯峨天皇)の1人橘逸勢の終焉の地です。国道362号線沿いに墓があります(ここのみ姫街道外です)。丁度桜が満開でした。
奥に橘神社があります。 橘神社の説明です。クリックしてください。
少し進み、国道362号線の左側の道を入った所に本坂一里塚があります。 本坂一里塚の説明板です。
本坂一里塚の横に7体の馬頭観音像(六観音の一。宝冠に馬頭をいただき、忿怒の相をした観音菩薩)を安置した祠があります。 日々沢の部落に板築(ほうずき)駅跡の説明板があります。駅というのは宿駅ということです。この説明板は文字が見えなかったので平成20年5月に上書きされました。
板築駅の前には華蔵寺があります。鎌倉時代の釈迦如来像、室町時代の大日・阿弥陀如来像を祀る古刹です。 三ケ日の釣の部落に灯籠があります。ここも鞘堂があります。
灯籠の説明板です。「これは釣村の秋葉灯籠で明治14年の棟札がある。石灯籠は大正5年12月建立の刻字がある」と書いてあります。 三ケ日釣橋川親水公園の説明です。クリックしてください。
象が姫街道を通ったことを示す絵です。 象鳴き坂というのが引佐峠にあります。この絵は三ケ日釣橋川親水公園にあります。クリックしてください。 三ケ日の中心地四辻近くにあります。建物は無くなりました。

姫街道その2へ続く