姫街道 嵩山から気賀まで
平成20年3月

その2 三ケ日から気賀まで

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三ケ日本陣から先のもう一つの四辻にあります。問屋場は、街道の宿駅で人馬・駕籠などを用意して、旅人の便宜をはかった所です。 少し進むと三叉路があり、三ケ日一里塚があります。
三ケ日一里塚の説明板です。クリックしてください。
三ケ日宇志部落にある茶屋跡です。クリックしてください。
その下に「宇志墓地 竹茂の墓」の案内板があります。 竹茂の墓が宇志部落の墓地の一角にあります。
碑の説明板です。「江戸時代後期文化10年(1813)建立の片山竹茂(ちくも)の墓は句碑として貴重な文化財である。六角柱の句碑という形態も他に類例を見ないが、これに刻まれている十二句によって寛政期から文化文政期にかけてこの地域の俳諧勢力が伺える資料として価値が高いものである。・・・」と書いてあります。クリックしてください。 同じく後半です。クリックしてください。
同じところにある高札場跡です。クリックしてください。 このような案内板が必要な所にはあります。
姫街道が東名高速道路で分断されました。 東名高速道路です。
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別の地点の分断された姫街道の説明板です。クリックしてください。 慈眼寺があります。
慈眼寺の説明です。 高い所に説明板がありました。「安形伊賀屋敷跡 戦国末佐久城主浜名氏の亜臣伊賀守正道の居住した住居である。・・・・・・」と読めます。
大谷代官屋敷です。現在ご子孫がお住まいです。クリックしてください。 このような案内板がありました。
その方向に少し入ると六部様という修行僧のお墓がありました。 六部の円心の説明板です。
大谷一里塚です。みかん畑の中にあります。 大谷一里塚の説明板です。クリックしてください。
大谷一里塚を過ぎると、このような立派な石畳の道となります。 少し歩くと石投げ岩があります。
その説明板です。 ここは急な坂道です。象が悲鳴をあげました。クリックしてください。
引佐峠に着きました。展望はありません。 姫街道の説明板です。クリックしてください。
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引佐峠の説明板です。クリックしてください。 この峠を上に行くと尉ケ峰、下に行くと佐久米に出ます。
東屋がありました。 引佐峠から15分ほど歩くと姫岩があります。お姫様はこの岩に座って浜名湖を眺めました。当時は木もなく、姫街道随一の眺めの良かった所のようです。
今は木が繁ってこのようにしか見えません。 クリックしてネ。後半は次の画面で見てください。
クリックしてください。 西気賀 岩根の薬師堂(薬師如来の像を安置する堂)です。
薬師堂の説明です。クリックしてネ。 舗装道路から石畳の道となります。
小引佐峠への坂の途中にあるお地蔵様 賽の神(道祖神)
小引佐峠となります。 説明板です。クリックしてください。
小引佐峠からの眺望です。今はここからの眺めが随一です。 馬頭観音と道祖神です。道祖神は村の守り神として、五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄などを祈願して村の中心、辻、三叉路などに祀られていました。
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伝説のダイダラボッチの池です。 その説明板です。クリックしてネ。
山田の一里塚跡です。 その説明板です。クリックしてください。
山村修理の墓です。 その説明板です。クリックしてください。
気賀宿本陣跡です。クリックしてネ。 気賀関所跡の案内板です。
ここに関所がありました。今は姫街道と離れた所に復元されています。クリックしてください。 細江四ツ角にある姫様道中の看板です。


嵩山から三ケ日を通って気賀に着きました。
お疲れ様でした。

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