西岳(にしだけ)2,398m
平成24年7月18日(水)     曇                      単独
登り口 長野県  富士見町  富士見高原ゴルフ場
道順 豊橋ー設楽−飯田山本IC−諏訪南IC−富士見高原
     3時間30分    220km          
登り時間 富士見高原ゴルフ場登山口−(30分)−不動清水−(3時間15分)−ガレ場−(15分)−西岳−(2時間)−林道出合−(2時間)−登山口       西岳 : 4時間             
頂上眺め 富士山、編笠山、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、南アルプス
地図

またまた失敗の山歩きです。南八ヶ岳に西岳というあまり目立たない山があります。八ヶ岳の南端、権現岳・編笠山の主稜線から少し西に外れたところにある山です。権現岳・編笠山に登ったとき、始めてこの山を知り、いつか登りたいと思っていました。

山の説明書を見ますと、2時間と書かれていました。1時間余分に見ても3時間ほどで気軽に行けると思っていました。(後で気が付きましたが別の案内書には3時間25分となっていました)

6:00に家を出、9:30登山口に着き、林道登山口を9:45に出発しました。林道を10分ほど歩き、樹林帯の登山道へ入って行きます。10分ほどの間隔で林道を2つ横切ると、不動清水に出ます。長寿水ということでしっかりと飲みました。

駐車場横の登山口 林道から登山道へ
不動清水 不動清水にある案内板。編笠山はここで分岐です

登山道は直登して行くので、この後林道をいくつか横切りました。直登の割には傾斜はそれほど急ではありません。尾根上の道ですが、展望はまったくありません。

樹林はカラマツ・シラビソ・ブナなど自然林なので気持ち良く歩けます。しかしアブが多いのには閉口します。頂上までこのアブは付き纏いました。小型のアブですが、噛み付くのでしょうか、ちくりと痛いのです。ひどいときは血も出ます。腫れるということはありません。

このような道を行きます 車の通らなくなった林道を奥から手前へ横切ります。

同じような道が続きます。上になると傾斜も急になってきました。なかなかガレ場に到達しません。もうすでに3時間は越えています。ひどく疲れました。今日は体の調子がよくないかもしれません。いやおそらく実力でしょう。こんなものです。

ゆっくりゆっくりなので時間はますますかかります。どうにも大変で、引き返そうと思いました。下りかけると調子はよいのです。この山で引き返すのは悔やまれます。また登ることにしました。やっとガレ場に出ました。

初めて山が見えます。正面に大きな編笠山がデンと構えています。南アルプスも見えます。少し元気が出てきました。

ガレ場からの編笠山 ガレ場からの南アルプスの山、中央左は甲斐駒ケ岳

ここまで来れば頂上はすぐ近くです。がんばって登りました。もう1つのガレ場を通り、待望の頂上です。すばらしい展望が開けています。4時間かかりました。思ったとおり誰もいない独り占めの頂上です。

編笠山の右に雲のかかった富士山、左に清里の天女山から登ると通る三ツ頭、正面に見える権現岳、旭岳を経て八ヶ岳の主峰赤岳、中岳を経て阿弥陀岳、ぐるっと見えます。

頂上標識 雲のかかっている富士山
編笠山、左奥の山は三ツ頭 権現岳、鋭鋒はギボシ、三ツ頭(右)
権現岳(右)、旭岳(中)、赤岳(左) 赤岳(右)と阿弥陀岳(左)

木が邪魔しているのが残念です。木が無ければすばらしい赤岳・阿弥陀岳の眺めだろうと思います。前々からの思いですが、頂上の木は切ってもよいように思います。自然を大事にするといっても数はそんなに多いものではありません。

鉄塔、電線の下、アンテナ、反射板などの近くでは大量の木が切られています。ささやかな楽しみのために、頂上のわずかな木を切るということは山好き者の勝手な思いでしょうか。この山も赤岳は2・3年で見えなくなってしまうでしょう。

頂上には御嶽大神、妙見大菩薩の石碑がありました。妙の字は欠けていました。青年小屋も見えます。南アルプスは雲がかかっていますが主峰は見えます。南アルプスは北の方向から見ているので、東や西の方向から見た順序と違っています。間ノ岳や農鳥岳は北岳の向こう側になります。

赤岳 阿弥陀岳
石碑 青年小屋も見えます
南アルプス、下は小淵沢の町 最後にもう一度権現岳を

ここまでは大変疲れましたが、失敗でなく成功です。
下山です。登ってきたとき、登ってきた方向だけは確かめておきました。下りはその方向に下りて行きました。その方向に道が2本あったのです。気が付かずにどんどん降りて行きました。すぐにあったガレ場が無いのでおかしいと思いながら、まだ先だと決めて降りて行きました。道もしっかりし、最近歩いたと思われる踏み跡も残っています。

道がしっかりしているので、違っていてもよいという思いもありました。古い標識が出てきました。「立沢に至る」とあります。どこなのか分かりません。新しい案内板や新しいテープはありません。最近歩いたと思われる踏み跡もなくなりました。戻ったものと思われます。戻る気はありません。

あの上りの苦しみはもう耐えることができません。道が無いわけではありませんから、この道を行けばとにかく降りられると考えました。降りてからはタクシーでもよし、歩いてもよしと思っていました。


上のほうではっきりしていた道も、だんだん不明瞭となってきます。ただアブがいないのは助かりました。途中三ヶ所で迷いました。道は湿地となり、またアブの大群です。やがて「野外青少年の家」という案内板が出てきて安心しました。林道に出ました。降りるのに2時間掛かり、時刻は16:00です。野外青少年の家の方向に行きました。林道はアブがいないので助かりました。

30分ほど歩くと野外青少年の家がありました。小さな建物があるだけで、人の居りよう筈もありません。後で分かりましたがこれはゲートのある林道でした。他に小屋1つありません。タクシーなど虫のよい話でした。

登るときに通った不動清水の看板がありました。距離が分かりません。先方から車が来ました。作業帰りのようです。登山口に行く方法や歩く時間を聞きました。まだ1時間以上歩くということです。ここで聞いたことが大変助かりました。林道は分岐があり、そのまま歩いていれば大変不安であったと思います。


2時間林道を歩いて登山口に戻りました。あれほど上りで苦しかったのに、下りや林道歩きは普通であったように思います。時刻は18:00です。上り4時間、下り4時間の山行でした。違った道を下り、これも周回コースのルートであったと自分を慰めました。また諏訪南ICで高速に乗り、家に着いたのは22:20でした。


追記 

帰ってからもう一度登り時間を調べると、3時間25分になっていました。登り時間4時間というのは、小生にとっての標準時間でした。2時間と思っていたのでひどく疲れたのかもしれません。

また翌日になるとアブにかまれたところが腫れてきました。ひどい腫れではありませんが、かゆいのです。しかし数日でこの腫れもひきました。腫れたのは腕の出ているところばかりなので、長袖でなければいけませんでした。

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