スイス旅行記   

まとめ


今度の旅行にスイスを選んだ第1の理由は本場のアルプスを見ることでした。マッターホルン、ユングフラウ、ベルニナアルプス、モンブラン他、ミシャエル連峰など日本とはスケールの違う念願の雄大な山々を見ることができ感激しました。

ユングフラウ3山の1つアイガー、スイス・イタリア国境にあるマッターホルン、モンブランの近くにあるグランドジョラスの北壁は三大北壁と呼ばれ、困難なルートとして有名です。これらの山も見ることができました。これらの北壁登山には悲劇が繰り返されています。アイガー北壁で1936年、初登攀に挑んだ4人が悪天候と不運に見舞われ、滑落死したその悲劇と厳しさは語り継がれています。

雲の懸かったアイガー北壁 雲の中のマッターホルン グランドジョラス


スイスは九州ほどの面積ですが、今回どこに行っても山が見られる山の国でした。登山鉄道が早くから発達し、延びた先を起点にそこからまた鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ、リフトなどが延びています。

そのスケールたるや想像を絶します。
マッターホルンのゴルナーグラード展望台には登山鉄道で高さ3131mの地点まで行きました。
ユングフラウのスフィンクス展望台には登山鉄道を2つ乗り継いでゆきましたが、鉄道はアイガー、メンヒの岩を貫いています。アイガーの壁面には展望駅の窓が2つあり、麓からも見えます。さらにエレベーターがあり、高さ3571mまで行きました。
モンブランのエギーユ・デュ・ミディ展望台にはロープウェイを2つ乗り継いで、そこからさらにエレベーターで富士山よりも高い3842mの地点まで行けます。

私は大規模工事が好きなので、大変関心がありました。建設機械も充分でない100年も前に、よくぞ造ったとほとほと感心しました。このような交通網が縦横無尽に伸びています。地下鉄道、地下ケーブルも多くあり、さすが本場のアルプスは規模が違います。


景観

スイスは山の麓が牧草地となっており、そこに家々があります。写真のように家はどの家も似たような造りとなっており、自然によく溶け込んでいます。どこに行ってもこのような光景が見られます。のどかで清々しい感じを受けます。

そのようなところに生活している人たちはどんな職業だろうか景色を見ながら思ってました。ときどき牛や羊がいますが、多いわけではありません。バスの中で添乗員さんの説明があり、スイスの農業人口は5%ほどということでした。そうすると観光に関わっている人が多いのでしょうか。

確かに訪れる観光客は桁違いに多いようです。モンブランのロープウェイでは、1時間当たり600人が利用し、年間500万人の訪問者があると言うことです。何回来ても飽きない魅力があるからでしょう。日本は上高地でさえも年間訪問者150万人ということです。

ベルニナ鉄道、氷河特急には並行して、道路もあります。こうなると鉄道は廃れがちです。特急とはいっても世界でも一番遅い特急です。これが廃止されるのでなく続いているのが素晴らしいことです。特に鉄道からの景色が見事で、ゆっくり走り、石積みの橋など鉄道そのものが風景とマッチしているのです。

町がきれいなのは市民感覚のように思います。町によって規制もあるようですが、どこまで規制があるのか分かりません。外観・高さはあるようです。日本で和風があるように、スイスもスイス風があるようです。これは大変貴重なことだと思います。例えば窓にプランターの花のある家が多いですが、これをしないと反社会的行為というのですからすごいです。そこまで外観は大事で徹底しているようです。

旅行記にも書きましたが、今回訪れた町はどこも広告看板がありません。それが農村ではのどかで清々しい感じを受けるのでしょうか。街中でもすっきりした感じを受けるのです。このように古くからある町がそうであることに見習うことが多いと思いました。


生活

登山鉄道には何回か乗りましたが、駅での放送、ロープウェイ発車時のベルなど一切ありません。なんら違和感はありませんでした。日本の場合、ところによっては必要な事もあるでしょう。ただ静かであるということはスイスにとっては絶対に必要なことであるようです。あるホテルではそのような注意書きも渡されました。

車は昼でもライトをつけています。右側通行であることが違うことくらいで後は日本とあまり変わりません。もちろん警笛が鳴らされることはほとんどありません。

やはり言葉に不自由しました。スイスはフランスに近いところはフランス語、イタリアに近いところはイタリア語を使っているようですが、英語でほとんど通じます。今回の旅行は添乗員さんがいましたから特に困りませんでしたが、一部買い物や空港で不自由をしました。

フランス、イタリアとの国境を通りましたが、通過するときなんら手続きはありません。そのまま通過できます。これらの国の間には宣言協定があり、お互いの国が発展するようにしているのです。

店での支払いにはそれほど困りません。困ったときはお金をいくらか置くと店員さんが必要なだけ選んでくれます。ただスイスではスイスフラン、フランスではユーロということがあるので気をつけておかねばなりません。また、カードは使える店と使えない店、カードの種類によって使える店と使えない店があります。

今はテレビ、インターネットによって外国の情報を得ることが出来ます。しかしそれだけではその国を理解することは出来ません。その国に行くと、からだを通していろいろなことを感じます。どちらかというと教えられることが多いと思います。

ジュネーブのホテルから空港までわずかな時間でしたがジュネーブ在住の日本人ガイドさんが同乗し、スイスの社会について説明してくれました。
子供はしっかり躾けるということです。甘やかすのでなく我慢をさせることが多いということです。
また大学進学は出来るのに、高校で進路を決める生徒が多いということです。目的がはっきりしているということです。
また先に記した「静かいうことはスイスにとっては絶対に必要なことだ」というのもガイドさんの説明です。

ツアー旅行

海外ツアー旅行は初めてでした。シンガポールのときは仲間数人と行きましたが、詳しい人が居り、その人に連れられて行きました。思いと違っていたことを書きます。これは認識不足かもしれません。
参加者は26名でしたが、女性20名、男性6名でした。半々位だと思っていました。同行者と旅行中いろいろ話をしましたが、ほとんどの人は海外旅行を経験しており、何十回という人もいます。このことを聞くと、どの旅行もこんなものだ、と言うのです。いろいろ事情はあるようですが、認識はしておいた方がよいようです。

参加者は私もそうですが年配者が多数です。そのように思っていましたが、思っていた以上です。その理由はよく分かります。
若い人も休暇をずらすなりして、若いうちにこそ海外に出かけてもらいたいと思います。休暇については日本社会にお願いです。

ホテル、食事のことは旅行記ではあまり触れませんでしたが、強いこだわりはありません。ほどほどのところでよいと思っていました。因みに書きますと1泊目はマイエンフェルトで「スイスハイジホテル」、2泊目はサンモリッツで「ベーレン」、3泊目はグリンデルワイトで「ホテル シュピーネ」、4・5泊目はツエルマットで「クリスチャニア」、6泊目はジュネーブで「ジュネーブエアポート」でした。サンモリッツ、グリンデルワイトではホテルでの食事、他は別のレストランなどでの食事でした。食事内容はそれぞれの場所の特徴ある内容で、いろいろ食べてみようと思っていたのでよかったと思います。

旅行者には日本人が多く見られます。東日本大震災で「日本人の秩序ある行動、自己犠牲の心」は世界の人に深い感銘を与えました。しかしガイドさんからも指摘されました。それが忘れられているのです。日本人の恥ずかしい行動も見ました。
スイスの人たちはやさしく接してくれました。ランドヴァッサー橋でカウントダウンをしてくれたスイスの人、名所で臨時停車してくれ、ヨーデル、ホルン、手品など披露してくれたバスの運転手さん、そして最後に何から何まで面倒を見てくれた日本人の添乗員さんに感謝したいと思います。

 6日目 ← まとめ

トップページ   スイス旅行記トップへ