八鬼山(やきやま)627m
登った日 平成26年1月15日(水)    曇                         単独
登り口 三重県  尾鷲市  熊野古道八鬼山登山口
道順 豊橋ー豊川IC−紀伊長島IC−尾鷲ー熊野古道八鬼山登山口    245km  3時間00分
登り時間 熊野古道八鬼山登山口ー(30分)−籠立場−(10分)−林道合流点−(30分)−七曲上 −(35分)−丸木峠−(20分)−八鬼山−(5分)−さくらの森    登り時間: 2時間5分       
頂上 熊野灘、尾鷲市街
地図
  

熊野古道を歩いて、八鬼山に行ってきました。3年ほど前に馬越峠から天狗倉山に行く熊野古道を歩きましたが、その近くにある山です。熊野古道は紀伊半島には多くありますが、この八鬼山越えの熊野古道は西国一の難所ということです。

ときにみぞれも降りましたが、そんなに寒くはありません。登山口は「熊野古道センター」の近くで、途中の路傍に尾鷲節の歌碑があり、そこから400mほどのところです。駐車場とトイレがあります。

駐車場には10:00に着きました。車が一台ありました。10:20に登り始めました。

尾鷲節の道標歌碑 登山口

石畳の路が始まりました。この石畳は八鬼山の頂上までほとんど続いています。この路は信仰の道であった他に、一般の人たちや商人の利用する、生活道路として欠かせなかった道だったようです。 西国一の難所と言われるこの道を、生活道路として使っていた往時に思いを馳せながら歩きました。

今日は山歩きですから当時とは全く違います。山歩きでは難所ということではありません。むしろこんな路が歩けるとはうれしい気分です。


少し進むと杉の木立となりますが、木の表面に補修された跡がありました。これは2004年頃、林業を営む一部地権者が世界遺産登録反対ということで、真っ赤な文字で書かれた落書きを消した後です。これは景観を損なっているということで話題になりましたから、よく知っていました。

この落書きは広い範囲で見られ、上の烏帽子岩でも消した跡がありました。大分きれいに修復されていましたから、このことを知らなければ気が付かないかもしれません。不快な思いをしないで済みました。

30分で籠立場(かごたてば)に着きました。籠立場は藩主などが籠を止めて休憩した場所ということです。見晴らしがよいということでもありません。このようなところには他にも丁寧な説明版が掲げられており、大変役立ちました。しかしその都度読んでいるわけにもゆかず、デジカメで撮っておいて後で読めばよいので助かります。

籠立場 籠立場の説明板

すぐに林道との合流点があります。古道に舗装林道とはちょっと興ざめでした。やがて七曲がりとなります。ここが難所ということでしょう。時間も20分ほどで、石畳の階段もしっかりとついています。

林道との合流点 七曲がり

七曲がりを過ぎると、桜茶屋一里塚があります。日本橋を起点とする一里塚です。

熊野古道は大きな岩がどこにでもあります。角の取れた石ばかりなので長年風雨にさらされ、沢を転がり落ちてきたものと思われます。蓮華岩と烏帽子岩がありました。岩が蓮や烏帽子に似ているからです。

桜茶屋一里塚 碑には「八鬼山桜茶屋一里塚」と書いてあります 蓮華岩と烏帽子岩

やがて九木峠(くきとうげ)です。ここは林の中で道標が建っていました。この熊野古道は展望は七曲がり上がわずかにあるくらいで、頂上までありません。

すぐに荒神堂(こうじんどう)、荒神茶屋です。荒神堂は、西国三十三ヶ所第一番札所の前札所として、八鬼山越えの安全を願って参拝したということです。荒神茶屋は昭和の初期までは休憩できたということです。

荒神堂 荒神茶屋

八鬼山頂上に着きました。見栄えのしない頂上です。頂上も見逃してしまいそうです。峠道から脇に数メートル入ったところにあります。峠道に表示板が吊るしてあるのでわかりました。この頂上では物足りないので、さらに5分ほど進んだところに展望のよい「さくらの森広場」があるので、そこに寄りました。

ここは唯一と言っていいほど、展望が開けていました。熊野灘が目前に広がり、左に浜島町、中に尾鷲市九鬼町、右に尾鷲市三木里町が見えます。時刻は12:30、誰もいない東屋で景色を楽しみながら、昼食をとりました。

八鬼山頂上 さくらの森広場
志摩半島、浜島町方面 尾鷲市九鬼町

帰りは来た道を戻りました。10人ほどに会いました。紀勢、伊勢、東名阪、湾岸、東名自動車道で帰りました。

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